公開: 2024年3月7日
更新: 2024年3月9日
1960年代になり、大都市近郊の都市には、大都市に建設された大企業の工場に勤務する人々の住む住宅地が数多く開発されました。関東地方では、その人々が勤め先へ通勤するために利用する私鉄が、大都市近郊の町に新興住宅地を開発し、新しい住宅地を作り出し、売り出しました。その新しい住宅の購入者のほとんどは、大都市にある大企業の勤務先へ勤める裕福な人々でした。そのような新興住宅地ができると、地方公共団体は、小売業者を誘致するとともに、小学校の建設に追われました。
そのような新興住宅地は、それまでは農地が広がっていた地域でした。戦後の農地改革で、従来は地主が所有していた農地を、安く手に入れた農家が、鉄道会社へ入手した土地の一部を売却し、鉄道会社が整地をして、住宅地として開発した土地を、都市の大企業で働く裕福な人々に売却したのです。そのためには、鉄道会社は、最寄りの駅を建設し、住宅地から駅までの道路を整備しました。また、駅の周囲には生鮮食品や日用品を販売する商店のために、商店街もつくり、商店を誘致しました。そのようにして新しい街が建設されてゆきました。
新しい街ができて、人々が住み始めると、その街が所属する地方公共団体は、義務教育のための小学校、中学校を建設しなければなりません。最初の数年間は、小学校だけで良いかもしれませんが、少なくとも6年後には、小学生たちは、中学校へ通学します。地方公共団体は、10年後、20年後の、その街の人口を予測しながら、小中学校の建設を計画しなければなりません。そして、さのさらに数年後には、高等学校へ進学する生徒のために、必要となる数の高校を建設しなければなりません。当時の多くの地方公共団体では、税収も少なく、そのような学校建設のための予算を用意することは、容易ではありませんでした。
裕福な家庭が集まる新興住宅地では、親たちの学校教育に対する要求も高く、親たちが要求する水準の教育環境を、地方公共団体の財政だけで整備することには無理がありました。この問題を解決するため、地方公共団体は、私立高校に対して、付属中学校を新設するように要請しました。また、小学校の教育環境を整えるために、通学する生徒たちの親に対して、経済的な負担を依頼する例もありました。特に、学校教育の内容に関する問題については、新興住宅地内に移住してきた人々の中から、教員資格を有している有志などに、学習塾を開くことなどを推奨しました。
特に、新興住宅地が建設された地域では、以前からその地域に住んでいた人々の子供たちと、移り住んできた家庭の子供たちの間に、知識水準の差が著しく、さらに、子供たちにより高い教育を受けさせようとする意思も強く働いていました。そのようなことから、親たちの一部には、学校教育で提供される知識水準では満足できない人々もいました。そのような裕福な家庭では、より高い教育を提供してくれる学習塾に通わせ、私立中学校へ進学させることを希望する親が少なくありませんでした。日本の敗戦から20年が経過したばかりで、一般の家庭の収入はまだ低かったので、新興住宅地に住む人々は、ある意味、特別な階層の人々だったと言えます。
そのような新興住宅地に移り住んだ家庭の中には、大企業で管理職を勤める人々と、大企業に勤務していてもまだ管理職ではなかった人々が、混在していました。しかし、多くの親たちは、子供たちが将来、大学へ進学することを望んでいました。それは、大企業で管理職に就くためには、大学を卒業することが条件だと信じられていたからです。子供たちが大学へ入学するためには、子供たちの成績は、小学校の中で、上位10パーセント以上でなければなりませんでした。この条件を満たすように、親たちは、子供たちを学習塾に通学させ、受験戦争を勝ち抜けられるようにしなければなりませんでした。
1960年代の末になると、大学が増設・新設され、入学定員が増加してきたため、大学への進学率は、15パーセント程度にまで増加しました。しかし、それでも多くの若者は、大学に入学できませんでした。高校を卒業しても大学に入学できない人々は、「浪人生」と呼ばれ、1年制の予備校に通い、大学受験の勉強をする例が多くなりました。例え、浪人生として1年間多く受験勉強をしても、大学を卒業して、有名企業へ就職できれば、将来は高給取りになれるので、損失を挽回できるのです。ですから、できるだけ偏差値の高い大学の入学試験に合格することが重要であると考えられていました。
1980年代に入ると、偏差値の高い大学への進学率の高い、有名私立高校へ進学するためには、その付属中学校への進学を目指すことが有利であるとされてました。そのため、小学校を卒業し,有名私立中学校への入学を希望する生徒が増加しました。その結果、小学校時代に良い学習塾へ通い、有名私立中学校へ入学するための特別な教育を受けることを希望する生徒や、その親が増加しました。小学校では、そのような特別な生徒たちと、一般の公立中学校への進学を予定する生徒たちが混在しているため、希望する知識の水準に格差が生まれたため、特に、一定水準以上の生徒に合わせた場合、小学校の授業について行けない生徒がうまれ、「落ちこぼれ」と呼ばれる生徒が出現するようになりました。